2009年01月25日

潜水服は蝶の夢を見るLE SCAPHANDRE ET LE PAPILLON/THE DIVING BELL AND THE BUTTERFLY

潜水服は蝶の夢を見るLE SCAPHANDRE ET LE PAPILLON/THE DIVING BELL AND THE BUTTERFLY/監督:ジュリアン・シュナーベル/112分
フランス/アメリカ(2007)
出演:マチュー・アマルリック


「夜になる前に」「バスキア」の監督の作品。
原作はファッション誌「エル」の編集長ジャン=ドミニック・ボビーが脳梗塞で倒れ左目まぶたしか動かなくなり、20万回のまばたきで綴った自伝。
カメラワークがとても斬新で、ジャン=ドミニック・ボビー自身の目線で映画が進んで行く。そして、時折見せるガラスに映った自分自身の姿。最近、先生がわたしと話していると自分の姿が見えないから自分も若いと思い込んでしまう。と言っていたのを思い出した。自分の姿は体しか見えないし、顔が見えないから、カメラと同じなんだよね。と。
そう、この映画は自分自身がドミニクとなり、ふいに見せられる姿で自分はドミニクではない。と思わせる。
そして、病に倒れ、自分の思うように体が動かなくなっても、ドミニクはドミニクだと思う、人間らしい、そしてプライド高い編集長らしい心情。
またタイトルが素敵。体が重い潜水装置に閉じ込められても、彼の頭の中はクリエイターらしく、想像力豊かで何にでもなれるのだ。蝶のように、体は軽やかに、そして、少しづつでも自分の好きなところへはばたいていけるのだ。
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ファニーゲーム U.S.

ファニーゲーム U.S./監督:ミヒャエル・ハネケ/111分
アメリカ(2007)
出演:ナオミ・ワッツ、ティム・ロス、マイケル・ピット


1997年公開の衝撃作をハリウッドでセルフリメイクさせたバイオレンス映画。
始めのオープニングからあの院学にイライラは積もりに積もり、見終わった後もこのイライラは続くものだった。裕福な家庭を狙い、ゲームを楽しみながら次々と殺人を犯して行く。
そして、実は観客が真のカモとして試されている。つまりゲームされているのである。思ってる間に事が起こり、思った以上な事が起こる。真実の世界ではないが、映画の2時間弱に私たちは全魂を込めて作品を鑑賞する。その鑑賞意識を使って、私たちにさらに不快感を与えるのだ。
しかし、個人的には、ポールがカメラに向ける視線があまりに不自然で、以前突如カメラ目線になる「in to the wild」ほどの感情を動かされることがなかったのが残念であった。
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2008年10月24日

トレース・エレメンツー日豪の写真メディアにおける精神と記憶

2008.7.19-10.13(2008.10.13)
東京オペラシティアートギャラリー Tokyo Opera City Art Gallery(3F Gallery1,2)
トレース・エレメンツー日豪の写真メディアにおける精神と記憶
Trace Elements-spirit and memory in Japanese and Australian photomedia


 この展示は始め、全く期待せずに行きました。行った理由として、ただ、春にオーストラリアに行くから見に行っとこうかな。と思ったのがきっかけでした。ここ数ヶ月前まで、オーストラリアの現代美術が盛んであることを全く知らず、ほとんどの学生が同じことを思うように、オーストラリアに美術留学!なんて考えなかったです。
しかし、この展覧会は、想像以上によかった!今年のベストに入りそうなくらい、私の好きなど真ん中でした!そして、鑑賞マップの親切さ。適度な情報ながら、美術に詳しい人も詳しくない人でも両方に満足できるぐらいの情報量でした。その中でお気に入りをいくつか。実はほとんど好きだったのですが。
「志賀理江子」の光が特徴的な作品も好きでした。死を感じさせる光に、希望溢れる光、全体的な暗さと光のバランスがほどよく、写真にのめり込まれそうでした。
「ジェネヴィー・グリーヴスGenevieve Grives」の<昔の人を撮る>現代のクーリー族が19世紀に「アボリジニらしい」格好で撮られた場面を再演している。その写真を撮られる様子をビデオ・インスタレーションにすることで、写真のドキュメンタリー部分ではなく、作られる写真というものを浮き彫りにしている。
「松井智恵」の映像パフォーマンスは、どこかでみたことあるなー。と思ったら、やはり、以前アップリンクギャラリーで展示していた作家だった。その時のビデオ作品も、とても面白かった。長い長い一直線の道をたくさん着込んだ松井自身が、何かに追いかけられているかのように、小走りで、一枚一枚服を道に投げ捨てていくのである。この作品の延長で、彼女はずっと、身体と映像について作品を制作している。今回の作品も映像のトリックを使いながら、身体の在り方を映像を通して訴えていた。映像自体も美しい。
「古谷誠一」の連続写真。始めは意図をつかめず、素通りしてしまうが、真ん中にテキストが置かれていて、そのテキストを見ながら読み明かしていく作品である。テキストの効果のをうまく利用し、テキストを読み込むことで、また違った観点で作品を鑑賞することができた。
「アレックス・デイヴィスAlex Davies」<ディストロケーション(脱臼)>。あらかじめ録画された映像と、リアルタイムの映像が作り出す映像作品。片方にはテレビモニタが4台設置されていて、片方の壁には小型のビデオカメラが埋め込まれている。その部屋にはいた時はどこが作品か分からず、無意識にビデオカメラを覗き込んでしまう。そうすると、その恥ずかしい姿がモニタに映されている訳で、映されていたモニタを見つけた時は赤面してしまう。もうそこにはその姿は映し出されていないのだが、どんな間抜けな顔で覗いてたんだーという自虐的な感じであろう。すると、他の鑑賞者がやってくる。同じような間抜けな顔で覗き込まないかと期待しながら。。。

拡張された感覚| 日韓メディア・アートの現在

2008.9.23-11.3(2008.10.13)
ICC InterCommunication Center
拡張された感覚| 日韓メディア・アートの現在
extended senses



 入り口からはみ出したブルーレール。それは未知の世界へ進ませてくれる道しるべになっていた。会場に入ると、そのブルーレールは天井にまで這い上がっていた。会場にはいって、まず目にいくのは、この青いプラレールを使って作品を作る「パラモデル」の<パラモデリック・グラフィティ>であろう。様々に交差し、永遠と繋がるレールのようだが、あるところでプツっと切れてしまう。その青い道しるべを見失った時の喪失感がこの玩具の既製品の青がより、見るものを一層複雑な気分にさせる。
その作品の前には、またまた不思議な空間が繰り広げられる。扇風機の上を風船がほどよく宙に浮いているのだ。現実にはありえないような事実を日用品を使い表現する「梅田哲也」の<門州>は既成概念をあっという間に取り去って行った。
もう一つ、心に残っているの作品が、「ジン・キジョン」の<YTN><ディスカバリー>である。この作品は以前、どこか海外で妹と旅行した時に見た覚えがあるのだが、どこかさっぱり思い出せない。しかし、またしても、彼の罠にハマってしまった!まず、モニタが置いてあり、ほぼ素通りに近い状態で通り過ぎ、他の作品を見るのだが、その後、必ずまたモニタの前に戻って凝視してしまった。そう、モニタに映るのは生中継の映像なのだ。前見た時も、妹をモニタに映るように仕向けて、再びモニタに戻ったっけ。今回も同じことをしてしまった。またしても、同じ行動をとらせた、この作品に念を感じない訳にはいかない。
 
 今回の展示は、おなじみの人もいるのだが、新しくICCで見れた作品があって、面白かった。しかし、ICC以外で作品を見たい人は多々いるのに、ICCでしか展示しない作家もいるので、残念な気もする。新しい作家をいれていってほしいです。 ICCさん。


2008年09月28日

Mr.ビーンズ カンヌで大暴れ

Mr.ビーンズ カンヌで大暴れ/監督:/84分
イギリス(2007)




いつまでも変わらないキャラと笑いを存分に発揮した笑いである。子供のような心を持ち、国籍や言語をも超えるコミュニケーション能力を持ち、強運を持つビーンはある意味羨ましい気もする。人間関係には国籍や言語、年齢、男女、地位は必要ないのではと問いかける作品であった。
しかし、この映画の見所は、ビーンの笑いだけではない。同じヨーロッパにありながら、イギリスとフランスの文化の違いが大きな見所である。レストランのシーンでイギリスとフランスの食生活違いを見ることができるだろう。
人とコミュニケーションするには、言葉が分かることよりも、もっと言葉だけではなく思いやる心など深いところで行うことが可能なのだろう。ビーンの笑いはまず、世界に笑いという共通項を作ってくれたに違いないだろう。
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IN TO THE WILD

IN TO THE WILD/監督・脚本:ショーン・ペン/148分
アメリカ(2007)
出演:エミール・ハーシュ




ジョン・クラカワーの原作「荒野へ」を映像作家ショーン・ペーンが10年の歳月をかけて映画化した作品である。実際にいたクリス・マッカンドレルを主人公にしたノンフィクションの原作である。大学を出た、聡明で裕福なヴァージニアの家庭に育った男が大学院入学のための費用を寄付し、お札を燃やし車を出放すこと、そして彼の荒野、アラスカへの旅が始まる。人とは何か。自分とは何か。哲学的概念から生きると言うことについて考えを張り巡らす。
難しいことが多く、理解に苦しむところも多くあった。しかし、原作を知らなくても理解することができるものになっている。大自然の映像ばかりではなく、ごく日常の家族関係の絡みや行動が多く見ることができる。
私が特に驚愕した素晴らしい場面がある。映像というものはフィクションであって、カメラの存在は無視されることが多い。カメラの眼は第三者の眼ではなく、無に出来た眼なのだ。ドラマということは、その要素が入り込むことは否めない出来事であろう。
しかし、この作品はこれだけではない。2場面その映画にはあった。おもむろに、主人公()が突然としてカメラ(すなわち、わたしたちが見ているスクリーン)に目線を注ぐのである。その瞬間に無にあったカメラの眼が存在するカメラの眼になるのである。無の眼で観ていた私たちは突如、現実に引き戻されるのである。現実と虚構の世界を自ずと知らせてくれるのである。「自分とは何か。」
これほどまでに。この効果を使用した映画を私は始めて眼にした。
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2008年08月26日

百万円と苦虫女

百万円と苦虫女/監督:タナダユキ/121分
日本(2008)
出演:蒼井優, 森山未來、ピエール瀧




「タカダワタル的」「赤い文化住宅の初子」と気になる作品だが、実はどれも彼女のタナダユキの監督による作品であった。気になるけど、手に取って見るまでに時間を要しそうな、そんな少し日本的映画の手に取りにくさを伺える作品である。今回は、蒼井優と、今話題の女優を主演にしたところが、足を運ぶのを気軽にさせたのであろう。すでに私の周りの友達も何人か鑑賞をしており、なかなかの好評作品であった。
不器用な困った笑いを浮かべるのが「苦虫女」らしい。つまり、女は愛嬌。が出来ないタイプの女だろう。しかし、そんな鈴子に行く場所行く場所に、熱心に惹かれてしまう、少し不器用な男たちの存在。
鈴子が街で出会った男の子(森山未来)に場所を変えて旅するのは、自分探し?と聞くと「自分は嫌でもここにいる」という言葉がとても印象的だった。
山での、会合のシーンでは田舎独自の「ドッグヴィル」のような怖さも伺える。
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2008年08月11日

転々

転々/監督:三木聡/101分
日本(2007)
出演:オダギリジョー, 三浦友和



「図鑑に載ってない虫」「時効警察」「亀は意外と早く泳ぐ」など、笑いを含めた少しだけブラック的な要素を含めた表現の得意な三木聡の作品。
よく、作品がリンクされていて、どれも似ている雰囲気を漂わせる。そして、そこには作品の相互作用が含まれていることも、彼の作品を見たことある人なら分かるだろう。彼の作品の出演者は主に主人公はまさしく個性派であって、現実離れしたようなかっこいい男や女が出てくるが、その出演者がなんともまぬけなところがいい。かっこいい人、きれいな人をそのままではなく、少し間の抜けているが、憎めないダメ人間たちである。オダギリジョーもかっこよすぎるのだが、かっこいいままではなく、ダメ人間なのである。ただ、東京を散歩するという、のんびりした羨ましい状況の中の暗さがまた憎めない。
岩松了、ふせえり、松重豊のサラリーマン?3コンビも健在である。
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2008年08月08日

攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL/監督:押井守

攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL/監督:押井守/123分
日本(1995)



 士郎正宗による原作漫画を押井守によって映画化された作品。漫画の世界だけではなく、科学技術者、身体論者などの多くの人に多大な影響を与えている。

―時代は21世紀、第三次核大戦と第四次非核大戦を経て、世界秩序は大きく変化し、科学技術は飛躍的に高度化した。その中でマイクロマシン技術(作中ではマイクロマシニングと表記されている)を使用して脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系であるサイボーグ(義体化)技術が発展、普及した。その結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできる時代が到来した。人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイド、バイオロイドが混在する社会の中で、テロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の攻性の公安警察組織、公安9課、通称"攻殻機動隊"の活躍を描いた物語。(Wikipedia抜粋)

草薙素子を主人公にした、脳は草薙素子だが、身体は人の手により機械化された、私の意思によって動くが私の身体ではない。という複雑な設定である。これは身体論に於けるデカルトの「我思う故に我在り」という概念を覆す現代の身体論であるだろう。すでに発表されてから10年以上もたつが全く古さを感じず、すでに新しい作品のような出来映えである。
 発表当時から話題であった作品を10年越しに観て、今も騒がれている理由が分かるものである。
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キリクと魔女/監督、原作、脚本;ミシェル・オスロ

キリクと魔女/監督、原作、脚本;ミシェル・オスロ/75分
フランス、ベルギー、ルクセンブルク(1988)




アフリカのとある小さな村は魔女カラバによって支配されている。その小さな村に小さなちいさな男の子が生まれる。「お腹のなかでしゃべるコは自分で出てきなさい」「自分でお腹から出て来たコは自分で体を洗いなさい」と、親と子の不思議な会話からこの物語はスタートする。
大人の上質アニメーションタッチである。
色彩もキレイで、話も本当に不思議な話だった。若干譜には落ちないストーリーであるが、ラストのキリクが魔女に恋をして一緒になるシーンがキリクの優しさと強さ、勇敢な姿の象徴であるだろう。そして、母親もまた、始めの親子の会話からも分かるように、勇ましく強い母親なのである。
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